「将来、体を動かす仕事に就くといいぞ」
とある日用品の製造工場で働いている父は少年時代の僕にそういった。
自慢でも何でもないが、僕は父親の背中をみてカッコいいと思ったことがない。少なくとも仕事に関しては。
なんせ、毎朝5時に起床し、6時前には家を出る。会社まで高速道路を使いながら約1時間半。
家に帰ってくるのは早くても夜8時ぐらい。9時とかはザラである。
帰って来るやいなや、夕食の残りを一人で食べ(母親が話相手としてテーブルに着くことはままある)、風呂に入り、少しゆっくりしたら寝るだけだ。
週末は基本土日休みのようだが、たまーに土曜日に仕事に行くこともあった。
少なくとも、働き方に関しては、何一つうらやましいとか憧れ、尊敬みたいな感覚はない。いがしそー、しんどそー。それだけしか思わない。そして自分はそんな働き方はしたくないな。そんなことを子供心に思っていた。
ちなみに、休みの日は家でダラダラテレビを見ているか、僕を含めた子供(3人兄弟)と遊んでくれたり。10年ほど前からは会社の自転車部に所属し、ロードバイク…ではないもののちょっと高そうな自転車にのってリフレッシュしているようだ。
父は腰を痛めて久しいので、自転車が運動の手段としては、腰に負担がかかりにくくちょうどいいようだ。
僕らが夏休み、冬休みともなれば、車で数時間で行ける範囲の観光地へ2泊3日ぐらいで旅行に連れて行ってくれる。
そんな感じの父親であった。
そこそこいい大学を出て、新卒で入った会社で奥さんと出会い、そのまま勤続約40年。絵にかいたようなひと世代前のサラリーマンといった感じだ。
まあ、子供も設けたし、それなりに幸せは享受しているのであろう。時代の流れにうまく乗った、成功パターンかと思われる。
しかし時代が時代だ。僕はそんなに積極的に労働したいわけでもないし、通勤に1時間半もかけたくないし、自分の趣味が何かわからないままに家庭を築き、それを養うために働き続けることはできそうにない。
事実、いま僕は父親が第一子を設けた年齢を過ぎたあたりの、ただの独身男性だ。
結婚自体は悪くないと、周りの友人が結婚し始めてからだんだんと感じるようにはなってきた。とはいえ、自己実現というか、まだやり残したことがあるような気がしてならない。
子供を設けてしまったら、両立できるような気がしないがどうなのだろう。自己実現(?)と子育て。まあなんせ、時間は有限である。家庭と仕事に大きなリソースを割いてしまえば、”自分のやりたいこと”を見つける余裕すらないではないか。
まあよい。そもそも結婚できるかどうかもわからないのに、その先の未来を案じることにそれほど意味はない。
ところで、父親のそのまた父親、祖父はどんな人間だったか。
もう90近いのだが、結構派手な人生を送ってきたようである。そのころはというか2世代以上前はサラリーマンという生き方が一般的ではなかった。
大体が農家とか、自営業なのではないか。
実際、祖父は副や衣服屋さんをやったり、国家公務員をやったり、不動産をやったり、農家をやったり。かなり手広く事業を展開していたし、曽祖父は馬を連れて全国を行脚する商人のようなことをやっていたようである。
昔の人は力強いなと思った。たぶん、今みたいに万人が進むようなレールは敷かれていなかったであろうに。まあ、貧しい時代だ、現代の生ぬるい世代と違い、とにかくくいっぱぐれないように生命力が燃え滾っていたのかもしれない。
最近実家に帰った時に祖父はこんなことを言っていた。
「サラリーマンなんて、うちの家系では○○(父親)だけだよ。お前も自分の仕事を作ったらどうだ。」と。
そんなこと言ったって…。何やっていいかわかんないんだよな。やりたいことも特にないし。という気持ちだった。
だから、今のところ僕はサラリーマンをやっている。それがある意味、楽だから。言われたことをとりあえずこなしていれば毎月安定した収入が得られる。
一方で、祖父や曽祖父のように、自分の仕事をもつのも悪くないだろうなとも思う。そのためには、自分が何をしたいのか、そしてそれは誰かに価値を提供できるものなのかを考えねばならない。
実際、このブログを含む副業を通して、サラリーマン以外の収入の柱を作れたらいいなという希望的観測のもと、新しいことに取り組もうと試みてはいる。
そういえば僕の強味は、短期的に意味がないと思われる作業でも、コツコツやり続けられるというものがあった。このブログもそうだ。かれこれ3年以上、ペチコネペチコネ更新し続けている。我ながらよくやっているなと感心している。
そういうことで、サラリーマン一辺倒の生き方はしたくないわけで、あとは、なるべく負担の少ない(ストレス、残業など)サラリーマンとして働きつつ、余った時間やエネルギーを、自分の畑を耕すのに投入するのみである。
それが今の僕の最適解かなと思った。
父親、祖父などの働き方と比較しながら、自分は現代においてどういう生き方がしたいのか、改めて考えてみた次第である。
ではこれにて。
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