こんにちは、grandstreamです。
今回は、書籍「考えるとはどういうことか」について感想をまとめてみたいと思います。
ざっくり概要
ざっくりいうと、「哲学的な問い」は子供からお年寄りまで、誰にでも存在する。だから哲学は誰にでも必要で、それが「哲学対話」というものですよ。
という話。「哲学対話」がテーマです。
なお、筆者が提案している「哲学対話」というのは、10~15人ぐらいで輪になって座り、日常生活で抱く様々な哲学的な問い「なんで嘘ついちゃいけない?」「健康ってどういうこと?」などなどについて「自由」に語り、考えることだそう。
詳しいやり方は、本書に詳しく述べられています。
いわゆるコムズカシイ哲学ではなくて、誰にでも「哲学する」ことはできますよという話ですね。
所感
読んでて共感したところについて所感を綴りたいと思います。
僕らは知らぬ間に思考停止しているかも
今の学校教育は概して、決められたルールの中で、決められた答えをいかに早く正確に答えるかを重視しています。
そこに「自ら考える行為」は内在していないように思います。
社会に出てからも人の顔色を伺って、当たり障りのない意見を言ったりします。
それがある意味、社会性を身につけるってことではあるんですけどね。
でも、ほんとに自分の人生のこととか社会で常識だと思われている価値観に対して、「自分の頭でじっくり考える」機会ってあんまりないですよね。
だから、ぼーっとしていたらなんとなく時間が過ぎていってしまう。
そうやって思考停止していると、つい周りに流されてしまいます。
でもそれのなにが問題なの?って思うかもしれません。
まあ、それで本人がなんの不満もなく生きていけるんだったら、それに越したことはないです。
でも大抵、人生ではうまくいかない局面に出くわします。
その時に、誰が責任取るんですか、ってことですよね。
無思考に、周りにただ従っているだけの場合は、周りの人に責任を押し付けたくなります。
「あの人が悪い」「先生が悪い」「上司が悪い」etc..
ちなみに僕も大学の研究室時代は割と教授のせいにしてました。。(反省)
でも、、そうやって人のせいにしても、大抵結果は変わりませんし、自分もシンドイままです。。
ところが、「自分で考えて」決めた結果うまくいかなかった場合はどうでしょう。
その場合は、自分で責任を取ることができます。
「自分でしっかり考えて選んだ道だから、まあいいか」
と納得できます。新たな気持ちで次に進んでいけます。
なお本書では、こういう責任を「ポジティブな意味の責任」と表現しています。
常に自分で考えて行動し、自分の人生を生きていけたらと思います。
考えれば「自由」になれる
さっきの話ともかぶりますが、漫然と生きていては、常識を疑うことってないですよね。
その常識を疑うことで、今まで自分を縛り付けていたものから解放されます。
なお本書で筆者が提案している「哲学対話」では、老若男女色んな人と対話することで様々な価値観に触れることができます。
すると今まで自分が常識だと思っていたことが、必ずしもそうじゃないんじゃないかと思ったりするわけです。
その瞬間ふっと気が楽になったり、あるいは、自分の価値観が揺らいでちょっと不安定になったりとか。
これらの感覚こそが「自由」という感覚なんだそうです。
僕の場合は、この感覚は海外に行くと結構実感したりします。
例えばフィリピン留学に行ったときも、フィリピン人講師の給料が1万〜2万ペソ(2~4万?)ぐらいだったことに驚きました。
ああ、それが普通なんだと。それでも楽しそうにやってるじゃないかと。
僕らの場合は手取り20万でも少ないんじゃないかと不安になってる人が結構いるにもかかわらず。
もちろん多少物価の差はありますけどね。
日本での当たり前が当たり前じゃなくなる感覚。。そして少し気が楽になりますね。
こういう感覚は常に大事にしたいところです。
まとめ
本書のテーマである「哲学対話」についてはそんなに触れませんでしたが、これは「自分で考え、自由を手にできる」新しい哲学の方法です。
なんだか世の中が息苦しいなーとか、人生に不安がある人は読んでみるといいかもしれないですね。
では、今回はこのへんで。
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