こんにちは、grandstreamです。
今回は、「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」(レジー 著)を読んで思ったことをまとめてみようと思う。
ジャーナリストの佐々木俊尚さんが、Voicy上で「首が折れそうになるほど同意した」と絶賛していたので気になって読んでみた次第である。
彼のVoicyはこちら「『ファスト教養』という本に首が折れそうになるぐらい同意した」
本書の流れ
本書はざっくりこんな感じで進んでいく。
- ファスト教養とはなにか
- なぜファスト教養がもてはやされているのか
- ファスト教養を牽引してきた著名人たち
- ファスト教養が生まれた時代背景
- 「成長」を信仰するビジパへのインタビュー
- 文化を侵食するファスト教養
- ファスト教養への向き合い方
そもそもファスト教養が何なのか、だけ説明しておくと、ここでいう「ファスト」は「ファストフード」に代表される「ファスト」だ。お手軽に手に入る、金稼ぎにつながるツールとしての教養といった意味合いだろう。
はて、教養って、本来そんなものだっけと著者は疑問を呈していくわけですね。
印象に残ったところ、感想
さて、本書で印象に残ったところと、個人的感想を述べていこう。
「お金を稼ぐため」のツールとして教養を使う
こういった風潮が近年力を持ちすぎているのでは、と筆者は指摘している。確かに「〇〇のための教養」みたいな本が昨今溢れかえってますもんね。
あと、中田敦彦のYouTube大学みたいな「読書代行サービス」とか、そういうコンテンツもそうですね。
コスパよく仕事したい、ビジネスシーンでうまく立ち回りたい、みたいな競争社会でのビジネスパーソンの焦りと不安が、こういったコンテンツの需要に火をつけているのだという。
個人的には、そういった競争社会から半ば「降りて」いるので(金持ちじゃないよ…!)、純粋に面白いコンテンツとして楽しんでますが。
読書は効率が悪い
さて、ファスト教養を摂取する場合において、動画コンテンツに比べ、読書は効率が悪いのだという。その理由が書かれてある部分が面白かったので引用してみよう。
「教養のためのブックガイド」小林康夫より
ビジュアルな情報はあっという間に感覚に入る。脳は瞬時のうちにそれを享受することができるわけですけど、文字言語はイメージとは違って、すぐには像が結ばれない。イマジネーションを働かして自分で像をつくり上げなくちゃいけないわけです。実はこれがすごく重要です。効率という意味では非常に悪い。文字から像までには時間的なラグがあって、そこで考えたり想像しないといけない。これはわずかな時間なんですけど、ずれているその間に自分の脳が想像力と思考力を働かせる。そこではじめて言語の運用能力が出てくる。本じゃなくちゃいけない最大の理由がそこにある。それは本以外に考えられません。本はある意味では時代おくれの遅いメディアなんだけど、その遅さのなかに途方もなく重要な精神の形成力がある。
逆に考えると、言語情報をインプットして自ら像を結ぶ過程が結構重要というか。その人の想像力を鍛えるっていう見方もできるんですね。
動画ってたしかにメッチャわかりやすいけど、全然頭使ってない感もあるんですよね。個人的に。体感的に。
これからも読書しようと思えた一節でした。
ファスト教養は自己責任をベースに加速している
ファスト教養に寄与した人物として、橋下徹、堀江貴文、DaiGo、ひろゆき、中田敦彦などを本書では取り上げている。
特に橋下、堀江、ひろゆきはベーシックインカムの導入を主張しているが、これは「一定額渡すからあとは自分でなんとかしろ」という個人主義思想と相性が良いからのようだ。
僕は正直「その発想はなかった」と思った。ベーシックインカムって、社会的弱者も含めて国民全員に一律で毎月一定額渡すという社会保障の一つのあり方だが、てっきり弱者に優しい制度かと思っていた。
もちろんそういう見方もできると思うが、「一定額渡すからあとは自分でなんとかしろ」という弱者への冷酷な目線で捉える事もできるのだなと思った。
「成功」を信仰するビジネスパーソン
本書の後半部分では、「成功」を進行するビジネスパーソン2名へのインタビューが掲載されている。
彼らはどちらも、「スキルを高め、成長する」ことに重きを置いており、そのために、仕事での成果に繋がりそうな知識を摂取しているようである。
この部分は結構興味深いなと感じた。まさに、僕と対局に位置するビジパだなと笑。
僕も、成長したいとか、スキルを高めたいとは思うが、決してそれは会社のためでなく、金稼ぎのためでもない。何かを練習したり覚えたりして、何かができるようになることが楽しいからやっているのだ。例えば、英会話とか、楽器とかね。
僕の話はさておき、彼らの行動の裏側にあるのは、SNSなどで周囲との比較を強要され、終わりなき成長に追い立てられている、という時代精神ではないかと筆者は主張している。
これも確かにありそうだよなとは思う。SNS、特にツイッターなんか見てるとすごい人ばっかり目に入ってきますからね。そりゃ焦るのも無理はない。
自分だからこそ学ぶ意味のあるテーマを見つける
さて、本書の最終章では、いかにファスト教養を「解毒」するかについての提案が書かれている。
その第一歩として、インフルエンサーが明確な根拠なく唱える「ビジパに必要な教養」よりもまず、自分だからこそ学ぶ意味のあるテーマを見つけることが大切だという。
ここもやはり、自分の軸というか、これがやりたいと心から思えるようなことを探る、自己分析が重要になってくるのだろうな、と思った。さもなくば、周りの意見に簡単に流されてしまう。それが人間というものだと思う。
自己責任論は、何もかも自分でコントロールできるという思い上がり
ほんとにその通りで、僕は自己責任論は結構嫌いな考え方だ。
社会的弱者を、「お前の努力不足だ!」と切り捨てる態度は短絡的にも程がある。
成功も失敗も偶然に左右されるし、そもそも努力できる性向を持っているかということ自体も偶然に左右される。そんなふうに思うことで、失敗した人や成果が出ていない人に対する目線も変わってくるはずである。
ほんとにその通り。
成功の裏には、努力以外の要因も複雑に絡み合っている。成功者には特に、そこに思いを馳せてほしいと思う。優しい世界、分断のない世界はそこから始まるとも言えるのではないか。
新自由主義に向いてる人、そうでない人
本書の「おわりに」で芸人オードリー若林さんの著書の一部が紹介されていて、結構共感した。
「ちょっと待って、新自由主義に向いている奴って、競争に勝ちまくって金を稼ぎまくりたい奴だけだよね?」
資本主義社会、新自由主義社会の国が世界の大半を占めるのだと思うが、結局、その枠組は競争、成長を是とする。でも、個人の性格とマッチしているかは人によるではないか。
競争が好きな人もいる、成長が好きな人もいる。そして、逆もしかりなのだ。(僕はどっちかというと逆)
まとめ
というわけで、本書で気になったところを取り上げてみた。
教養が、ファストフードのように消費されてしまう社会に対する鋭い分析から、その「解毒」方法の提案まで非常によく書かれた本だと思う。
佐々木俊尚さんのように、僕も、結構本書の内容は腑に落ちる点がたくさんあった。
ちょっと本書とズレそうだが、個人的に、教養とは「それがあると遊べるもの」という認識だ。炊飯器について1時間語れるなら、炊飯器に対する教養が深いと言っても良いのでは?と個人的には思う。
身の回りのアレコレに対して、面白みを見いだすのに役立つのが教養。そしてそこには金儲けなんて介在しなくて良い。
子供のように、損得考えずに、毎日を楽しみ、「無駄」を楽しみ、教養が深くなり、さらに人生が楽しくなる。そんな生き方を目指したいなと個人的には思った。
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