「生んでくれてありがとう」…?

life

「お母さん、生んでくれてありがとう。」

「お父さんお母さん、育ててくれてありがとう。」

結婚式のワンシーンで新郎新婦が涙ながらに、両親に向けてよく言うフレーズ。

僕はこれに少し違和感を感じている。どうして両親に感謝の気持ちが芽生えるのか、それはその子どもたちである新郎新婦が、幸せに暮らせているからなのだろうけど。

子供を作るという行為は、望まない妊娠を除いて、親が「子供を作りたい」と思った、親自身の都合による。だから、生まれてきた我が子を育てるのは当然のことだと思う。

子供からすれば、「いや、まあ、生んでくれとは言ってないけどね」っていう感じ。

僕自身、両親に「生んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」と心の底から思ったことはないような気がする。「あなた達の意思で生みたいと思って生んだのだから…なんで僕がそれに感謝しなければいけないのか」そんな気持ちになってしまう。

実のところ、僕は小学生時代結構しんどい時期があった。当時、僕は「赤面症」だった。今思えば、なんでそんなちっぽけなことで悩んでいたのだろうと思うが、当時の僕にとってそれは耐え難い苦しみだった。

小学校ではよく、クラスの前で発表したり、スピーチをさせられるシーンがある。そのときに僕は必ずと言っていいほど、恥ずかしくなって顔が赤くなる。そしてそれをクラスの人にからかわれる。彼らに悪気はないのだが、僕はそれがひどく嫌だった。

特に一分間スピーチは地獄だった。ひとクラス30人。毎日2人ずつ、日直が交代していく。日直となった2人は毎朝の朝礼でそれぞれ一分間スピーチをしなければならない。話題は何でも良かった。

当番が回ってくると、僕はクラス30人の視線を一心に浴びながら話し始める。するとものの5秒ぐらいで頭に血が登ってくる。赤くなっている自分を見られていると思うと余計に恥ずかしくなり、ブレーキが効かなくなる。頭から湯気が出るほどに赤くなる。

それが本当に耐え難く、人前で何かを発表する機会があるたびにひどく憂鬱になっていた。

このことは母親にも相談していた。話を聞くと、母親も幼い頃は赤面症で、人前で話すのがひどく苦手だったようだった。僕はその話を聞きながら慰めてもらっていた。ああ、これは遺伝なのかな、そう思った。

その時僕は、結婚はともかく、子供は作りたくないと思った。子供に僕と同じ苦しみを味わってほしくないからだ。今ではいささか考え方が変わってきてはいるが。

要するに僕が言いたいのは、自分の人生を不幸だと感じているひとは「なんで俺なんかを生んだんだよ!両親!」と親に反発したくなるのではないか、ということだ。ましてや「生んでくれてありがとう」だなんて。

だから、結局結果論に過ぎないのかもしれないなって思ったり。自分が今幸せなら、親に感謝したくなるし、逆も然り。だから「生んでくれてありがとう」って都合の良い言葉だなって思う。

僕が親に対して抱いている感情は、今のところ、言語化すると以下のような感じだろうか。

「子どもを生むという行為は、あなた達の都合だったと思う。そして結果的に僕が生まれてきて、しんどいことをたくさん経験した。でも同時に楽しいこともあった。今現在は順調に人生を歩んでいると思う。だから、今は、生まれてきて良かったと思っている。僕がおとなになるまで面倒を見てくれたのはあなたたちの義務だからある種当然だと思うけど、それでも、感謝はしています。」

これが、僕とは違って、ずっと辛い人生を歩み続けている人は親に対してどう思っているのだろうか?感謝するどころか、恨んでいる可能性もある。

そして逆に、親の立場で考えると、この世知辛い世の中で子どもを生むという行為について、もしかしたら子どもが辛い人生を歩んでしまう可能性があるということも、頭の片隅において置かなければならない。親の子どもに対する「加害者意識」なるものだろうか。思想家の東浩紀さんがそのような表現を何処かで使っていたような気がするので使わせてもらう。

だから、「生んでくれてありがとう」というのは、今述べたような背景をすっ飛ばして発せらせているような気がして、僕にとっては違和感なのだろう。。

最後に、子どもを生むな!と言いたいわけではない。生むときはそれなりの責任を持って、生んだら、我が子が幸せに生きられるように全力でサポートする。実際的にはそうすることしかできない。

なんか、まだもやもやしてる気がするけど、とりあえず今思っていることをメモ代わりに残しておきました。

違う角度からのご意見、ご感想ありましたらお待ちしてますーー。

 

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