こんにちは、おっちゃんです。
昨日、4月9日タイからマレーシアに帰国しました。マレーシアでコンドミニアムをずっと借りっぱなしだったので、家賃はちょっと無駄になりましたが。そんなに高くもないので、まあ。
家路につく道中、2ヶ月ぶりに見る風景に懐かしさを覚えました。そして自宅に戻ったとき、自分の部屋は時が止まったまま。シーリングファンはカビ防止のために一応つけっぱなしにしておいたのだけど、それも当然そのまま。
ああ、帰ってきたなあ、我が家。謎の安堵感がありました。4月25日からは次のお仕事が始まるので、これから2週間は少し暇なのだが、タイでそうしていたように、中国語の勉強やウクレレ、運動などしてヘルシーな生活を送っていきたいと思う。
それから、ここマレーシアには前職(コールセンター)で知り合った同期が何人もいて、懇意にしてくれている。それも僕に「帰ってきた感」を与えてくれた一因だろうね。彼らと会う予定も立てている。楽しみだ。
さて、今日は僕の大好きな海外旅行、旅行、旅、(言い方は何でも良いが)とのこれからの向き合い方を考えてみたいと思う。まず、前提条件としておいておきたいのが、僕は不安障害ということなのだが、しかしながら前提としたくない自分もまた存在する。
というのが、転職先のビザが下りるまでの2ヶ月間、僕はある種自由だった。どこへ行っても良かった。とりあえず、スリランカやタイのチェンマイには旅行に行った。でも後半一ヶ月はタイの郊外に定住していた。
なぜか?基本的には不安障害の悪化により旅が楽しめなくなっていたのが大きい。次の仕事に対する不安が僕の持病を少し悪化させたのだと推測する。
でも理由はそれだけではない気がしている。少なくともあと2つぐらいあるのではないかと思っている。
一つは金銭面の問題。一応自由に使えるお金は90万円ぐらいはあった。でもそれが減っていくのがなぜか怖かった。というか、「お金が減っていく恐怖>旅の楽しみ」となってしまったと言ったほうが正しいのかも知れない。
とにかく、この2ヶ月間は無収入だったわけだ。旅は自由にできるとしても、お金がただただ減っていく一方。お金のことを常に気にしながら、ややケチケチした旅行スタイルになってしまう。そして、若ければドミトリーに連泊するなどしても良いかも知れないが、僕はやはりプライベートルームが恋しい。すると値段が3倍近くしてしまう。これは悩ましい。
つまり、お金のことはそれほど考えずに、旅ができればこの問題は解消される。
もう一つの問題は、旅の刺激に慣れてしまうことである。これは、複数人の旅人から聞いたことがある。世界一周はキラキラして聞こえるけど、「一ヶ月ぐらいで飽きが来る」と。もっともそれはその人の旅のスタイルや計画に問題がある可能性もあるが、他方、その気持ちは少しわかる。
そう、今までの僕がしてきた旅行といえば、毎日の学校や仕事があり、たまに長期連休が取れて、非日常を味わうから楽しいという可能性がある。でもその非日常が延々と続くとそれは日常になってしまう。慣れてしまうというわけだ。ここがミソである。
つまり、ただ続く日常のなかにいかに非日常を作り出せるか。これが旅人の力量が試されるところなのかも知れない。
例えば、東南アジアはどこの国に行ってもおんなじような気がしてしまう。であれば、ヨーロッパや南米、アフリカなど全く違う文化圏へひとっ飛びしてしまえばそれは非日常を作り出すことに成功できるかも知れない。でも、飛行機代や移動の疲労を考えるとあまり現実的ではない。
もっとも、世界一周すると仮定して、テンポよく巡っていけば良いのかも知れない。つまり、新しい土地に足を踏み入れ、そこが日常になりそうなタイミングで、次の街に移動する、といったふうに。この例で参考になりそうなのが、「わかば」さんというYouTuberだ。彼女の旅行期間は約10ヶ月で、テンポよく世界各地を巡っていた。
僕なんか、絵画にそれほど興味がないが、いろんな画家について勉強していれば一つの絵を見ても色々味わえるかも知れない。それで言えば、僕は写真が趣味なのだが、人が撮った写真を見るのは好きだ。どうやってこの色味を出したのだろうとか、この構図は素晴らしいとか、光の使い方が上手いとか、一つの写真を見ても、いろんな楽しみ方ができる。これが教養の本質だと思う。
これを旅行に適用できれば、常に感動し続けることもできるのではないか?この「教養×旅」の代表は社会派ブロガーのちきりんさんを上げておこう。あるいはYouTuberのスーツさんでも良いかも知れない。
さて、さんざん旅の楽しみ方の可能性について探ってみたが、じゃあ僕はどうしたいのか。そこを考えてみよう。以前僕は、世界一周にあこがれていた。でも、今はその熱量はそこまで強くない。
むしろ、本当にそこに行きたいと心が言っているのか、それに耳を傾けたい。今で言えば、キューバやモンゴルに行ってみたい。それはオードリーの若林さんの書いたエッセイに少し影響を受けている。
また、アメリカにいってTVドラマ「ブレイキング・バッド」の聖地巡りなんかでも良いかもしれない。テキサス州オースティンには友達が住んでいるからなんとかしてくれるかも知れない。
ところで、いわゆる有名な観光地というのがあるが、自分は本当にそこに行きたいのか、よく考えたい。往々にしてそういう場所は観光客だらけで旅の情緒が薄れる。無論、本当に素晴らしい絶景が広がっていて、僕の内なる子ども(インナーチャイルド)がそれを欲しているなら行けば良い。
だから、僕のスタンスとしては、何カ国行ったとか、マチュピチュ行ったとかそういう他者目線のことよりも、まず自分の心の声を第一優先にしたいところである。
そして僕は予定では、しばらくマレーシアで仕事をすることになる。だから旅行のスタイルとしては、2週間程度のまとまった休みをとって、行きたい場所に行く。この場合、仕事という日常があり、旅が非日常になるであろう。また、仕事をしている状態であるから、お金が減っていくだけという状態にも陥らない。しばらくはこれで行こうと思う。
それから、僕はできれば最終的にはお金にお金を稼いでもらって(投資)、自分はそれほど働かなくてもいい状態を作って、もう少し自由度を増したいとも思っている。でもこれは15年後とかの予定だから、今はそんなに考えないことにする。未来の自分がどうしたいのかなんて分かるわけがない。
以上が現在の僕の、旅に対する考え方だ。そしてここで前提に戻るが、体調をもう少し寛解に持っていけたら良いね。
ではまた。
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