こんにちは、grandstreamです。
今回は日本の就活や仕事に対する考え方について、ダラダラ書いてみます。
まずは僕の個人的な話から。
僕は学生時代から割とガリ勉で、テストでいい点とって褒められて育ってきました。
高校時代も、学年で2位ぐらいになったりして。
そして、どの教科が好きだったかというと、歴史、物理(宇宙)、英語あたりでしょうか。
特に宇宙に関しては中学時代からロマンを感じており、科学雑誌のニュートンなんかを読んで相対性理論や量子論について勉強したりしていました。
そんなわけで、大学進学の際は物理学科などに行って、宇宙関連の勉強をしたいなーなんて漠然と思っていました。
で、実際とある大学の物理学科を受けてみましたが、残念ながら学力が及ばず、落ちました。
落ちたときは割と絶望して、ああ、浪人でもしようかなぁなんて思っていました。
でも、他に受けていた大学に運良く受かったのでそこに行くことにしました。
ただ、僕が進学したのは化学系の学科でした。
というのも、当時の担任の先生から、僕は化学の点数が比較的いいから、この学科を受けてみたらどうか、と提案されたからでした。
僕は当初、第一志望の物理学科しか頭になかったので、第二志望以降の大学の進路には全く興味がありませんでした。
したがって、先生の言いなりでなんとなく、それらの大学も受験したわけです。
で、受かっちゃったので、まあ、浪人するのもアレだし、行くか、、と。
そんなわけで、化学系の大学生としての人生を歩み始めました。
結局、そんなに興味があるわけでもない化学を修士含めて6年間学びました。
そしていよいよ就活。
かつて、宇宙に対して抱いていた興味、情熱もすっかり冷め、特にやりたい仕事などありませんでした。
でも就活時の心持ちとしては、化学系の大学を修士まで出たんだから、化学系のメーカーとか、製薬系の研究職に「入りたい」と思っていました。
その「入りたい」という気持ちは、「化学系の大学を修士まで出たんだから、それを活かしたい」というものでした。
決して、化学そのものやものづくりなどに本質的に興味があったからではありません。
言い換えると、「6年間せっかく化学を学んだんだから」化学メーカーで研究職やりたいよねっていう。
いわゆるサンクコストってやつでしょうか。
ここで、化学メーカー以外に進んでしまうと、今まで化学に費やした6年間が無駄になってしまう気がしたのです。
そういう、ある種、後ろ向きかつ、漠然とした理由で就活をしていたため、面接の受け答えがうまくできませんでした。
その会社で働きたい動機が、「化学系の大学を修士まで出たんだから、それを活かしたい」という、その一点だったからです。
だから、志望動機を聞かれてもそんなに「立派な」受け答えができませんでした。
1つ印象に残っている面接の質問があります。
「あなたはこの仕事を通して10年後どうなっていたいですか?」
というものです。
僕は、「有機合成のエキスパートになりたいです」みたいな薄っぺらーい受け答えしかできませんでした。
こんなんじゃそりゃ落ちますよね、っていう。
あと他にこんな質問もありました。とある田舎の方の製薬会社にて、
「この先ずっと地元から離れてこの会社で働くのは問題ないですか?」
僕は、「…はいそう問題ありません。」みたいに絶妙に間を開けて回答してしまいました。
これは最終面接だったのですが、おそらくこの「間」から色々察されて、落とされるに至りました。
つまるところ、心の底からその会社に入りたい!という情熱がなかったわけです。
もし熱い思いがあれば、どんな質問が来ても滔々と回答できたでしょう。
あるいは、もっともっと受け答えの準備をしていたでしょう。
僕はこれらの経験から、結局の所、当時の僕の目の前にあった選択肢(化学メーカーとか製薬系)は少なくとも僕の心の底からやりたい仕事ではありませんでした。
思い返してみれば、その当時、僕のやりたい仕事などありませんでした。
これは、僕が悪いのでしょうか。
中には、大学時代にすでにやりたいことがあり、それが実現できる仕事があり、情熱をもって面接に挑める人がいます。
でもそれは少数派なんじゃなかろうか、と思います。
ほとんどの人は、心からやりたい仕事など無いのだろうと思うんです。
多くの人は、もし宝くじが3億あたったら、今の仕事をやめちゃってもいいと思うんじゃないでしょうか。
そんなもんだと思います。
そもそも仕事なんて、多くの人にとって基本的にはやりたくないものであり、でも生活のためにやっているそんなものではないか。
そんなわけで、就活であたかも「この会社で本気で社会貢献したいんです!」って自分の本音に嘘をついて自分をよく見せようとする謎の慣習には虫唾が走ります。
僕はそんな就活はしたくありません。
でも、それをしないと就職できないのです。
とてももやもやしますね。
そもそも、本気でやりたいことが見つかればいいのですが。。
往々にして本気でやりたいことはお金をもらわなくても自発的にやっているものです。
つまり、趣味です。
でも趣味では多くの場合、食っていけません。
趣味だけやっていてお金が入ってくるのであれば、これ以上無い幸せですね。
結局の所、世の中に用意されている仕事の中に、自分のやりたいことなど無いのが普通なのだろうと思ってしまします。
とはいえ、先に述べたような嘘つき合戦なる就活を制し、大企業に入れた人はもう安泰でしょう。
一旦会社に入ってしまえば、どうにでもなります。
普通に目の前の仕事に淡々と集中すればいいのだから。
ここまでつらつら書いてきて思いましたが、僕は日本の就活システムが嫌なのかもしれませんね。
さてさて、それはそれとして、僕はとにかくその就活をうまく乗りこなせなかった一人です。
以下の2つのパターンの場合、僕の就活はある種「成功」していたといっていいでしょう。
すなわち、
- 本当にやりたいことがあり、それが実現できる会社が存在し、順当に自己アピールして入社するケース
- やりたいことは無いものの、自分を説得してやりたいと思い込ませ、就活で自分を偽り、入社を勝ち取るケース
どちらにも僕は当てはまっていませんでした。
だからこそ、僕はなんともいえない会社に入社し、あろうことか営業課に配属され、もやもやした日々を過ごすことになります。
まあ、結果として今があるので、その経験も無駄ではなかったと今では肯定的に捉えていますが。
さて、話題は変わりますが、そもそも人は労働すべきなのでしょうか?
僕の考えでは、したい人がすればいいし、したくなければしなくてもいい社会が来ればいいなと思っています。
つまり、選択できるようになるのがいいと思うわけです。
世の中には、仕事を通して自己実現したい、社会貢献したいと思っている人がいます。
そういう人は積極的に仕事をして世の中をより良くしていって貰えればいいと思います。
一方で、僕のような、それほどやりたいことが仕事に見いだせない人は、無理して働かなくてもいいのだろうと思います。
むしろ、そういうやる気のない労働者が増えても、生産性が落ちたり、会社にマイナスの影響も与えかねません。
そういう人たちは、会社以外で、つまり、プライベートなどを充実させて自己実現させていけばいいと思うのです。
趣味に心血注ぎ、精一杯遊びたいだけ遊ぶ。
本人がそれを望んでいるならそういう生き方もありなのではないでしょうか?
昨今のAI台頭の中で、人間が働くことの価値がどんどん薄れていっています。
残るのはクリエイティブな仕事だけ。
だから、本当に働きたい人は働いて、働きたくない人は趣味に没頭すればいいのです。
そういう社会が実現するためにも、ベーシックインカムには期待したいところです。
「働かないのは悪だ!」
今の時代にも、そう言う人がいるかも知れません。
でも「働くべき」とかって誰が決めたのでしょう?
もちろん、時代によっては、働かないと食っていない、貧しい時代もあったでしょう。それならわかります。
でも、豊かになった現代において、飢え死にすることはほぼありません。特に日本では。
「働かないのは悪だ!」
という発言は、働かずに好きなことやってぬくぬく暮らしている人への嫉妬でしょうか?
ともかく、現代では、そんなに必死こいて働かなくても、生きてはいけます。
だから、働きたい人が働けばいい、嫌だったら働かなくてもいい、そういった選択の自由があって良いと思います。
もし、僕がなにかの拍子に大金持ちになったら、仕事をやめて、好きなことをやりまくるでしょう。旅行とか旅行とか…。。
で、遊ぶのに飽きたらまた暇つぶしに働くのかもしれませんね。
とりとめのない文章になってしましましたが、本文で伝えたかったのは
- 日本の就活システムはちょっとキツイ
- (仕事における)やりたいことなど無くてあたりまえ
- 働かないのは悪いことではない
- 働くor 働かないは個人の自由
このあたりのことでした。
ではでは。
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